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2007年6月 1日 (金)

Zum ewigen Friden

■まず、前松岡大臣の死は、あらゆる意味で、残念にならない。心からお悔やみ申し上げたい。

■管理人といえば、首を寝違えて、数日、痛い思いをしている。ここ数日、古典をペラペラとめくっていたのだが、その中で、政治的リベラリズムの思想的側面である、イマニエル・カントの『永遠平和のために』を、多少ロジカルに大雑把に簡単にエントリしておく。(備考録です)

ただ、管理人、哲学や思想関係は、疎いし、カントに詳しいわけでもないので、間違いが多々あると思うが。。。

■岩波文庫では、非常に薄く内容も一見、平易である。管理人もこれが、カントの一連の著作の中で、どう位置づけられるのかは、わからないが。。。

ケーガン論文『ネオコンの論理』で、欧州(古いヨーロッパ)は、カント的な法の支配にいるとアメリカとの性格の違いを表している。

カントがこの平和論を書く歴史的背景に少し触れたあと、内容をみる。

■カントの祖国プロイセンでは、絶対主義を確立したフリードリッヒ=ビルヘルム1世の後を継いだ、フリードリヒ大王が、強力な常備軍を持って、オーストリア継承戦争、7年戦争により、領土を拡大する。イギリス、フランスにおいては、海外での植民地争奪戦に明け暮れていた。その後、アメリカ独立戦争、フランス革命が起こり、その革命の波及効果を恐れ、拡大を防止するために、フランスへの干渉へ各国が乗り出す。プロイセンは、1795年、単独にフランス共和国とバーゼル条約を結ぶ。この平和条約の不備が、カントに平和論を書かせる動機になる。

■ここからは、かなり論理的に間違いを承知で、飛躍的にエッセンスだけを抜いていく。

・根源的契約ー①人間としての自由、②国民として自由 ③公民(選挙権をもつ)として自由

以上、3つを保障するための方法として、人々が共同立法し、それに服従する。

→自然状態(戦争状態)からの脱出=法的状態へ

その法的状態は、市民的体制に属していること。

①国民法に基づく体制→②国際法に基づく体制→③世界市民法に基づく体制

そして、カントは、この体制として、共和的でなければならないとする。

①人間として自由→②臣民として従属→③国民として平等 に基づく体制である。

カントは、何故、共和的な体制が良いとするのか。

①専制政治に反する。

②執行権と立法権(行政と法の区別)

③永遠平和に即している(戦争をすべきかどうか国民の賛同が必要)

以上のように3つの原則が順序立てて、その根源的契約から、国民法(憲法)へと、アプリオリ的な、カントの言う理性によって、カント・コントラクタにアニズムが完成する。

この個人→国家が、国家→諸国家の連合(国際法)と同じ論理展開がなされる。

■哲学書をあまり、ロジカルに、簡単に述べるべきではないが、カントは、多民族国家、多宗教国家には、否定的である。ご存知の通り、カントは、ロールズによって、再構成され、様々な社会科学の領域にも使われる。

パクス・デモクラティア、つまり、デモクラティック・ピース論であるが、あれは、あれでラセットなどが、実証研究しているが、そういうのもあるのかの程度の認識で良いと思う。戦争(内戦・内乱も含む)の形態は、メアリー・カルドーが述べているように変わっている。大きく言えば、非対称型、テクノロジーの進歩などである。が、その本質的なところは、大きく変わらないのだろう。

おそらくカントも世界平和を望んでいるか、それは、難しいことだとわかっていただろう。

それでは良い週末を!

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