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2007年3月11日 (日)

平和について考える

■休日、ボーとしてましたw 出かけようと思ったのだが、とにかく、風は、きついし寒い。又、今週も寒くなるそうだ。こう、天気がおかしいと、アル・ゴア氏の『不都合な真実』でも、買って読もうかと思うが、こういうことは、専門家に任せる。ただ、この元になる報告、2酸化炭素(CO2)と温暖化(異常気象)の関連性など、専門家同士でも賛否両論あるようである。例えば、人間の活動(CO2排出)の要因が大きいとされているわけだが、この温暖化は、気象学・歴史学的に、ある一定の環境周期のパターンであるというような対立である。(詳しくはわからないが・・・)

国際関係論でも、グローバル・イシューである、環境問題を取り入れたものは、人気である。(EUなどは、その狡猾さを感じるが。。。)

例えば、地球環境政治学 このあたりが、先駆けであろう。もう14年も前だが。

■今回は、軽めの超手抜きエントリーである。(すいません)

「平和」「平和」と声高に叫ぶ人は多いけれども、意外と平和とは何か、平和な状態とはどのような状態かと突き詰めると、答えられない人が多い気がする。

IRs(国際関係論)には、平和学(peace studies)というディシプリン(分野)がある。(主に北欧で盛んなのだが)

この始祖とも言える、ヨハン・ガルテゥングの概念をもとに、少し平和について考えてみたい。

■ガルテゥングの平和概念には、2つある。

・1つ目は、「消極的平和」(negative peace)

これは、主にリアリズムの平和観に近いものがある。つまり、「戦争・紛争のない、起こっていない状態」を言う。リアリズムも多様だが、リアリズムの平和定義は、「戦間期と戦間期の間の小休止」という具合である。その根拠として、人類の歴史が挙げられている。

・2つ目は、積極的平和(positive peace)

これは、昨今、言われる「人間の安全保障」に近いだろう。(これが最終形かもしれない)つまり、彼の言葉からすれば、「構造的暴力」のない状態となる。この「構造的暴力」とは、主に、貧困・飢餓、自らの安全を脅かす包括的な環境である。

特に、戦後日本は、総合安全保障(comprihensive securty)として、情報、環境、経済など包括的な安全保障を実施してきた。この関連性のほどは、わからないが、「人間の安全保障」を国連で、積極的に推進したのが、インド出身の経済学者、アマルティア・セン教授と、日本の緒方貞子さんである。

■平和概念を少しみたので、次に、何故、平和(な状態)がよいかのを考える。

戦争・紛争は、極めて不確実性の高まる状態である。それゆえ、事態の観察と想定が立てにくい、不安定な状態である。(予測不可能性が高まる状態)

他方、平和な状況下では、反対に、事態の観察と想定が立てやすく、安定した状態になる。(予測不可能性が低くなる状態)

それゆえ、平和な状況の方が、不確実性が少なく、又、少なくしやすいから、平和な状態が良いのである。

■最後に平和運動に関する所感を述べたい。

言うまでもなく、管理人も、個々人の生命は尊く、平和を希求してやまないのだが、平和運動的なものとは、異なったアプローチを取るだけの話である。まったく、平和運動が無駄だとは、思わないし、それも、ひとつのアプローチであると考えている。ただ、平和運動家が、平和に対して、定義もままならず、感情論に訴え、運動自体に自己満足してしまうのは、如何かなものかと思う。もちろん、断っておくが、全ての平和運動に一般化は、するつもりはない。確かに、人間ゆえ、感情的な面もあり(当たり前だが)、それに、訴えかけるのもひとつのアプローチであろう。そのような運動から、大きな世論形成がなされる可能性もあるし、国内政治や国際政治において、まったく無視してよいものではない。

ただ、現状、その力は弱く、(特に護憲派・護憲運動家の方々には、自らの諸活動が、波及していかないことに対して、他への責任転嫁をする前に、まず、自ら自身の活動を省みてもらいたいのだが)、大きな政治を動かす主要ファクターには、なっていない。

アプローチが異なるからと言って、平和を希求していないという断定も避けるべきである。

平和な状態とは、得がたく、失いやすい。現在でも世界各地で、紛争、内戦、テロが行われている。その現実をしっかりと認識した上で、何故、そのような状況になるのか、そうならないためには、どうすべきかを考えるべきではないだろうか。

その方法として、管理人は、軍事力の必要性を決して否定しない。(軍事力が平和を阻害する主要因であり、無くせばいいという論理もあるだろうが、セキュリティ・ジレンマ的に軍事力によって、均衡、コントロールして、平和な状態を維持している要因もある。軍事力のデメリットばかりに目を向けることは、現実を認識しているとは思えない。)

最後に平和について、理論的・論理的に考えてみるのもたまにはいいのではないだろうか。

■今週も皆様、頑張りましょう。

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東京新聞(朝刊)2006年12月31日(社説) ?  このあいだ発表されたアカデミー賞では、地球温暖化の危険を訴えた「不都合な真実」ちゅう映画が、アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を獲得したんかて。また、伝統的なリムジンカーをやめて小型で燃費のええトヨタ... [続きを読む]

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