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2007年3月 5日 (月)

歴史認識問題(1) 日韓

■安倍総理のこの度の発言は今後、どう転回するのだろうか。

安倍首相 「慰安婦強制性、証拠ない」 韓国外相が不快感

2007年03月03日10時59分

 韓国の宋旻淳(ソン・ミンスン)外交通商相は2日、安倍首相が旧日本軍の従軍慰安婦問題で「(軍の強制連行への直接関与など)強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」と発言したことについて「これらの発言は、健全で未来志向の日韓関係を築く共通の努力の助けにならない」と述べ、不快感を示した。ワシントンで講演した際、質疑応答で語った。

 安倍首相は1日、軍当局の関与と「強制性」を認めた93年の「河野官房長官談話」に関連して「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実ではないか。定義が変わったことを前提に考えなければならない」と官邸で記者団に語った。

 この発言に対し、宋氏は「どこにいようと何をしていようと、正面から真実に向き合い、人類の普遍的価値を尊重しなければならない」と語った。以下、略・・・

■この度、安倍総理が、従来のいわゆる河野談話を見直す、従軍慰安婦(狭義の)が歴史上、事実としてなかったという発言をした。

韓国の反応をみたあと、認識問題に対するアプローチ(レベル)と、管理人の見解をコメントする。

■まず、韓国の反応を見ておきたい。比較的、保守系といわれる『中央日報』の社説である。少し長いが引用しておく。

【社説】従軍慰安婦を否認した安倍首相の妄言

  安倍晋三日本首相がおととい、太平洋戦争当時、日本政府・軍隊の従軍慰安婦強制動員を否認する妄言を言った。彼が10年前、主導して作った自民党内右翼性向議員団体もこの日、同じ主張をした。日本政・官界でもこんな雰囲気が拡散しているという。おとといは3.1節だった。こんな日、被害者の傷を撫でるどころか塩をまく日本指導層の非道徳性に絶望を感じる。これでも韓日間の友情を言えるか。

  日本は米国下院が日本政府に対して従軍慰安婦の件で謝罪を促す決議案を採択しようとすると 歴史歪曲で正面対抗しようとするようだ。米下院のアジア太平洋環境小委は、先月、従軍慰安婦だった女性たちを呼んで、史上初の聴聞会を開いた。すると日本政府は日米関係が悪くなると「脅迫」までするなど、決議案採択を阻むために総力戦を繰り広げている。採択された場合、国際社会で大きな恥をかくことがわかりきっているからだ。

  従軍慰安婦は日本政府も認める事実だ。1993年当時、河野官房長官が日本軍、官憲の強制動員事実を謝罪・反省するという談話を発表した。多くの日本の教科書も従軍慰安婦の内容を載せている。安倍首相も河野談話を受け継ぐと明らかにしたことがあるのにもかかわらず、おとといは河野談話を修正する意をほのめかしたという。証拠がないというのだ。まだ多くの被害者は苦痛の中に生きているのに、加害者は証拠を無くして事実ではないとむちゃくちゃをいう。

  ドイツは絶えずナチスの歴史を反省した結果、国際社会の尊敬と信頼を受けている。日本は経済大国にも国際社会でまともに認められることができない主要原因が歴史歪曲にあるという点を悟らなければならない。ある歴史でも絶対隠すことができない。恥ずかしいと歪曲するほどもっと恥ずかしい国家になる。逆説的だが米下院で従軍慰安婦決議案を主導する人は日系議員だ。彼は安倍首相の発言後「日本の名声を汚さずに過去の過ちを公式謝罪し、日本の立場を高めよ」と忠告した。安倍首相は恥ずかしくないか。

2007.03.03 04:09:23

■歴史認識問題とは何か、それは、「歴史上の事実に対する認識・(意味)解釈をめぐる争い」と定義しておく。日本は、中国との「南京カタロフィズ(南京事件)」とこの度の韓国との「従軍慰安婦(sex-slave)」が、しばしば、両国間の政治的イシューとなっている。(広義にとらえれば、領土問題なども含まれるのだろうが)

今回のこの、「中央日報」をはじめ、韓国側の批判や、反論は、歴史的事実の客観的な検証を根拠に挙げてないので、あまり、効果あるものには、なっていない。

もちろん、安倍総理も、客観的な事実の検証プロセスを国内外に説明していないので、それが、正当性をもちうるかは、判断しにくい。

■歴史(認識)問題には、およそ、3つのレベルが存在する。(もちろん、相互関連している)

①ファースト・レベル(検証レベル)

歴史的事実を様々な史料に基づいて、(出来うる限り)客観性をもって、検証するレベルである。

②セカンド・レベル(認識・解釈レベル)

①の事実を認識・解釈するレベルである。つまり、歴史的に位置づけるレベルである。

③サード・レベル(実質的・運用レベル)

①、主に②を実質的に使用するレベルである。つまり、政治や経済などに反映する・されるレベルである。

単純な図式にすれば、①→②→(③)となるのが、好ましいが、必ずしもそうなるとは限らない。

■管理人の見解は、各国が、自国に都合の良い歴史を形成する営みは、極めて当然のことである。何故なら、その国家のナショナル・プライドや、ナショナル・アイデンティティの安定に繋がるからである。日韓や、日中の専門家による歴史共同プロジェクトは、すでに行われている。残念なことに、双方の見解のくい違いから、進展はしていないが。

専門家同士でさえ、このような現状である。ましてや、一般人は、上記のレベルがミックスして、感情的になっている状況があるだろう。政府間でも、①が曖昧なまま、②から③を行って、摩擦を起こしている。

まず、管理人が主張することは、①を徹底せよということである。その際、極めて客観性を担保するために、欧米の研究者などを参加させることが好ましい。

この「従軍慰安婦」の問題に関しては、管理人もその事実のほどは、検証していないが、少なくとも、「従軍慰安婦」という言説を日本国民に広く、認知させた韓国側の努力の証である。日本側は、それに対する、カウンター・ディスコースを構築できなかった。そんな事実はなかったのだから、必要ないというのなら、そんな事実がなかったことを①のレベルから、根拠として提示しなければいけない。あったーなかったの繰り返しでは、生産的・建設的ではない。

もちろん、検証の結果、それが自国にとって、都合の悪い事実であっても、それを受け入れる覚悟は、必要である。それが、歴史と向き合う、歴史から学ぶということであろう。

「従軍慰安婦」の検証は、ほぼ、オーラル・ヒストリー的な、個々人の記憶に委ねられる部分が多い。それゆえ、客観性は、乏しい。また、体験者とされる方々が高齢ゆえ、日韓政府は、早急に、欧米研究者の力を借りながら、この問題に対処すべきである。当時の状況、各々の発言の一貫性・整合性などを、よく吟味する必要がある。

留意すべきは、記憶や認識も政治を動かすファクターである。それゆえに、慎重でなければならない。

現在、日本政府は、アイリス・チャンが著した、「レイプ・オブ・ナンキン」の検証に入っている。この問題も同様である。

正直、管理人の見解は、悲観的である。ヨーロッパ、特にドイツを例に出す人が多いと思うが、ヨーロッパの文化的均質性、歴史的リアリズム、戦後の統合過程など、単純に、日本ー中国ー韓国に類推出来るものではない。

入江昭先生の言葉を借りれば、「未来に対するビジョンの共有化のみがこの問題を解決する。」

果たして、それが実現可能だろうか。もっと、精微な作業と時間がかかるのだろうと考えている。

人類の歴史を紐解けば、常に勝者の歴史が歴史である。このような問題もパワーによって、決定されると言えば、それまでだが。

この歴史認識問題に関しては、又、エントリする。

■追記:河野談話を付記しておく。田中明彦先生のデータベースより

内閣官房長官 河野洋平

平成5(1993)年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島はわが国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多くの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

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コメント

少なくとも、日本が真実を歪曲しているという印象だけは持たせちゃいけないんでしょうね。
すでに米国はこの問題に介入してしまっているわけですから、日韓米の三カ国の学者でもう一度歴史的事実の検証を行うことを、日本側から提唱しても良いと思うのですが。その結論が出るまで、米議会の決議も河野談話の見直しも棚上げするということで。
アメリカの学者が入れば、韓国もナショナリズム丸出しの歴史観ばかり主張はできないでしょうから。

投稿: Baatarism | 2007年3月 5日 (月) 10時20分

Baatarismさん

コメント恐縮です。
正直、政府の言う「広義」「狭義」という区分も苦しいところがありますね。この解釈を認知、共有させなければ、問題解決には繋がりませんしね。

とにかく、安倍総理は、国内外への丁寧な説明がなさすぎですね。この度の発言もアメリカ議会への働きかけ、ナショナル・プライドの構築、国内消費用(若年層の取り込み・保守、右翼層向け)があるのでしょうが、仰る通り、欧米研究者を交えて、透明性を保ちつつ、この問題に対して徹底的に事実検証にあたりたいというように、働きかけるべきでしょうね。

エントリにも書いたのですが、②→③が先行しすぎですね。

通時/共時の区分は、比較的、新しいものですが、そんなに簡単なことではありません。

50年か100年先には、歴史学者が一定の評価を下していると思いますが。。。

ただ、国益という観点から政治の話をすれば、国益が単に物質的なものだけでなく、このような理念や、価値という要因もあるということです。この対立は、結構、劇的な国際環境構造上、あるいは、国内政治構造上の変化がないと、解消されにくいものですね。

投稿: forrestal | 2007年3月 5日 (月) 19時54分

トラファルガー海鮮に勝利したネルソン提督坐乗の旗艦には、「従軍慰安婦」が乗っていたようです。だから、「従軍慰安婦」というのも、どの時代の基準で容認されたのかを考えたほうがいいと思います。
 昭和初期には、東北の農村の娘は、多くが遊郭に「身売り」に出されたわけですが、そういう娘さんたちは、戦時中は何をしていたのでしょうか。昭和5年頃に15歳で身売りに出されたとして、終戦の年には30歳前後です。こういうことは、余り議論されないのは、何故でしょうか。
 案外、朝鮮半島からも、東北の農村と同様に、「身売りに出された娘」というのが、多かったような気がします、昔の日本(朝鮮半島を含む)は、それほどまでに貧しかった。この意味を直視すべきでしょう。

投稿: 雪斎 | 2007年3月 5日 (月) 21時06分

まったく同感です。
非の打ち所のない名エントリーです(いや、本当に)。
さて、私が思うのは、慰安婦問題には様々な見方がありますが、河野談話に対して肯定的な人、批判的な人、彼らのうち、談話をきちんと読んだことがある人はどのくらいいるんだろうということです。
まあ読み方にもよるのでしょうが、この談話を読んでも、「日本政府、旧日本軍は朝鮮半島などで組織的に人さらいをして慰安婦にしていました」とは認めてないんですよね。
この談話がどのような強制力を持つのか、また、解釈は既に固定されているのかは私は分かりませんが、解釈の仕方、また先方への説明の仕方によっては、河野談話もまあ悪くないのかなと思います。

投稿: talleyrand | 2007年3月 5日 (月) 21時24分

おっしゃるとおりだと思います。
慰安婦は日本だけじゃありません。
ドイツ軍(ナチス)にもおねーちゃんが同行していましたし、イタリア軍はおねーちゃんとパスタがないとダダこねてますからね。
雪斎殿もおっしゃってますが、貧しい田舎から身売りされて慰安所で働いていた女性も多かったはず。その斡旋業者もおりましたし、それが軍と親しい(性病感染を防ぐため)というのもありがちな話です。
 個人的な主観ですべてを断定すべきではないですよね。
 

投稿: SAKAKI | 2007年3月 5日 (月) 21時59分

>雪斎さん

コメントありがとうございます。
そうですね。どの時代・時期からなのか、これも明確にしなければいけませんね。又、時代・時期ごとに、慰安婦概念の変容もあるのかも同時に考えなければなりません。この「従軍慰安婦」という言説は、かつては、なかったわけで、この新しい言説・基準でもって、過去を計る(検証する)わけですから、時期・概念の明確化は、必須ですね。

「貧しさ」の意味は、真剣に考えなければなりません。例えば、現在でも、国際的な児童売買春の規範が形成されているにも関わらず、それらが、平時でさえ、横行している地域、国ぐにがあります。「貧しさ」とは何なのか、何をもたらすのか、そのことは、直視しなければいけませんね。

何故、議論されないのか。現在の視点・基準から、修正主義をかけるなら、本来は、議論されてしかるべきです。特に、熱心に修正をかけている人ならなおさらです。ただ、やはり、自国の歴史に、都合の悪いことを、忘却したいという感情が大きな要因だと思います。
貴重な視点の提供、ありがとうございます。

>talleyrandさん

コメントありがとうございます。お褒め頂き恐縮です。個人的には、迷エントリーなんですが。。。(なにかと迷うことも多いです)

河野談話は、リンク、エントリしておけばよかったですね。現在までは、これが政府見解になっています。

ただ、河野談話に批判的・否定的な人でもいろいろな見解(解釈)があるようです。そんなことはなかったと全否定する人や、狭義のいわゆる政府、軍部の直接関与は、なかったという人などですね。そこには、自発性/強制性が争点になります。ただ、雪斎さんが指摘してくださっているように、その背景(貧しさ)に向き合う、議論する、考えるプロセスが欠如しているように思います。

又、国際的な解釈と日本政府の解釈にズレがあれば、議論になりませんから、それらを、一致させなければ、この問題、先には、進みませんね。
河野談話は、エントリに付記しておきますね。

>SAKAKI様

コメントありがとうございます。
個人的な主観といより、願望なんでしょうか、それが先行する見解が多いように思います。

そうであるならば、尚更、事実検証をして、根拠として、提示すべきなはずなんですが。

ただ、なかなか、このような、ナショナル・プライドや、ナショナル・アイデンティティに密接に関わる問題は、こうありたい、こうあったはずだという主観が露骨に表れるケースですね。

投稿: forrestal | 2007年3月 6日 (火) 13時11分

 こんにちわ。この問題、ちょっと引っかかっていたのですが、歴史認識のレベル段階という切り口でエントリーされたので、良質な議論が出来ますね。
 いろいろ言いたいことはあるのですが、歴史(歴史的事実でなく)に関する基本的な考えが異なれば、レベル1の事実の検証段階で異なることが避けられないと思います。これに関しては歴史家の岡田英弘がよく言われることなんですが、中国およびその影響の強かった朝鮮半島の歴史観は、自らの正統性を証明するのが歴史であるということです。これに対し、日本、特にヨーロッパの歴史認識を学んだ明治以降の日本の歴史は、過去の事実や変化を、客観的に叙述することこそ歴史だということで、この歴史観の違いは、ある意味で水と油なんだと思います。
 今回の問題を歴史認識というレベルで考えれば、戦争中のさまざまな事実を客観的に検証し、叙述することが大切だと思いますが、そうすることが、(中国や韓国、さらに北朝鮮からみれば)一種の免罪ととられかねないこともあると思います。正しい歴史は、実はすべての国家や国民に、苦いものであり、不満の種になるという性格があるように思います。
 国際社会のさまざまな問題は本来、法によって解決されるべきもので、歴史の問題ではないと強く主張したいのですが、歴史にその任を負わせたのが又、現代の特徴でもありますね。

投稿: M.N.生 | 2007年3月 7日 (水) 10時54分

M.N生様

コメントありがとうございます。
仰る通りだと思います。

歴史観が異なれば、1の検証レベルから、摩擦が生じるでしょう。
このレベルを提示したのは、もちろん、これら3つのレベルは、密接不可分なところがあり、簡単に割り切れるものではないのですが、どのレベルで、摩擦、論争になっており、それらが、どのように、関連しているのかを、考える上での一つのモデル提示に過ぎません。どのレベルにおいても、伝統・文化に養われた、主観は、拭い去ることは、完全にはできないでしょう。又、これらのレベル・ミックスが生じるのそのためです。

歴史家、アーノルド・トインビーは、「歴史は、みる人の視点によって創られる」と述べています。

西欧的な歴史観でも、かつて、デリダとフーコーが論争したように、西欧のロゴス中心主義的な見方に異を唱える、西欧人もいるわけです。まあ、西欧では、特にこの「客観性」とはなにかという研究がいまだにされているわけですが。

ただ、1のレベルおいては、ある程度、国際的な基準に乗っ取って、いわゆる、アカデミックに従うべきでしょう。タームの定義も違う、コンテクストからの解釈も乖離が大きいでは、3のレベルで、解決するしかないわけです。つまり、極端な言い方をすれば、落としどころ、妥協点を模索するほかなくなります。

それゆえ、エントリにも書いたのですが、私は、悲観的なわけです。何をもって、解決とするかは、いろいろとあるでしょうが、随分と先のことになるのではないでしょうか。

国際関係は、国際法という規範の秩序と、国際政治というアクター間がおりなす、政治的秩序がバランスを取りながら、国際関係全体の安定化を図っています。(他にも要素はあると思いますが)

国際法の作り出す、一定の基準や枠組みに乗っ取って、解決できればいいのですが。如何せん、このような司法に馴染みにくい問題では、政治的な決着(妥協)になりがちですね。

それゆえ、まずは、互いの差異が、どのレベルで、どのように生じているのか、これをクリアにすべきですね。

投稿: forrestal | 2007年3月 8日 (木) 21時57分

■「慰安婦問題」は多くの日本の良識人の心にも傷を残しているのだ。ブログを読んで感じました。
■「良薬口に苦し」と言いますので、事実が一番きつくて飲みがたいでしょう。無理に一度に飲むことは控えていいのではないでしょうか。(一国の首相は当たり前に別ですよ。)
■これは、日本の国が過去にやったことで、一般の日本の人の責任とは言えない。(当たり前ですよね)

その上で、1の検証前に理解しておかなくてはならない、「事実」があります。
■河野洋平談話は、
①戦後50年近く立った1993年にあった。当時10代でも高齢者になっている時期まで、政府が今回自民党に出すと言っていた資料など、手持ちの事実を50年近くも調査してなかった。(当然に1の検証を要求されても、長期にわたって無視してきたのか。という疑問が残ってしまう。)
②これは、現在のソープランドとかキャバクラでの風俗と違い、拉致(連行と騙しで)った女性を逃げ出せないように閉じこめて、トイレに並ばすように兵隊の列を作り次々と襲わせたおこないです。無論、女性が拒んだら暴力によって従わせていたのですよ。希に運良く一度逃げ出せた女性もいたようですが、戦争の前線に連れて行かれているので、当然のことで捕まって女性の性器の周りに家に逃げ帰ってもだめなようにするため、入れ墨まで施したのですよ。
③これは、一般の人には何の責任もありませんが、「事実」を嘘で固める人と一緒に行動することは、犯罪を犯した過去の日本と同じになってしまうと思います。
④河野洋平当時幹事長は、未来に日本の子供と一般の人のために、その点で事実を発表するという「良薬」よりも苦い行為をした点で立派だったと思います。
私は、このように思われますが、いかがでしょうか。

投稿: kimjonnan | 2007年3月10日 (土) 17時31分

kimjonnan様

はじめまして、コメントありがとうざいます。

>「慰安婦問題」は多くの日本の良識人の心にも傷を残しているのだ。ブログを読んで感じました。

それは、どうなんでしょうか。少し私には、わかりかねます。私も良識人かどうかわかりませんし。
ただ、戦後、日本の歴史教育(主に近現代史ですね)というのは、何故かということを問わず、ただ、反省のもとでやってきたのだと面が大きいのでしょう。その反動が、現在、様々な形で、社会に現れているのだと思います。

責任論に関しては、各々、考えがあるでしょう。国家をいくつものフェイズ(側面)からみて、歴史・文化統一体であり、その形成がまた、一側面である国民(民族)共同体によって、形成されてきたと考えれば(つまり連続性ですね)、戦後責任は、歴史に形成される行為として、責任があります。又、責任問題の有無に関係なく、過去の出来事が現在の私たちに影響を及ぼす以上、作用していると考えなければいけません。(つまり、現在の私たちが対応しなければいけません。)

>「良薬口に苦し」と言いますので、事実が一番きつくて飲みがたいでしょう。無理に一度に飲むことは控えていいのではないでしょうか。

この事実が何をさしているか、それ次第です。もちろん、社会秩序の維持、ナショナル・プライドの構築には、タブーにされることがらあるのは事実です。

ただ、(奇麗事でしょうが)エントリにもある通り、その客観性ある事実検証が行われ、認識されれば、それを受け入れなければなりませんね。

河野談話は、極めて1のレベルの乏しいものです。それを前提にして、2や3を行うことは、主観が完全に拭い去れないとしても、アカデミズム(1のレベル)の法則に反します。ただ、アカデミズムが万能なわけもなく、政治的な決着(妥協)で、こと足りることもあるでしょう。しかし、河野談話のような小手先の解決方法では、現状、国民のコンセサスは、とられませんし、何度もしつこいのですが、1のレベルがなさすぎです。仮にあったのならば、その史料、検証プロセスを国内外に説明しなければなりません。

ですので、私は河野談話をそのような視点からあまり評価しておりません。

もちろん、なかったことを証明する方がはるかに難しいのですが、貴殿のコメントもその信憑性は、わかりません。つまり、推測の域を出ません。少し、レベル・ミックスされているようです。

いずれにせよ、小手先のその場しのぎの解決策では、あとあと、ツケがまわってきます。その作用を受けるのが、現在の私たちであり、未来に生きる人たちでしょう。

ただ、この「従軍慰安婦」の問題は、諸外国から見て、戦中、日本の軍国主義=ナチスと同一視されることも見受けれますし、それと関連して、アジア女性基金や国連、アメリカ議会と国際的な拡がりをもうすでに持っています。つまり、単純に日本の国内問題だけでは、片付かなくなっています。そのこともよく考慮した上で、日本のイメージ評価やソフトパワーの減少を最小限に留める、慎重な対応が必要です。

その方法については、すでにエントリに記してあります。
長くなりましたが、コメントありがとうございました。

投稿: forrestal | 2007年3月10日 (土) 23時44分

とにかく慰安婦問題については、小林よしのり著「戦争論2」の「総括・従軍慰安婦」を読んでみてほしい。
あらゆる関連本の中で一番良い。
この問題の全容も把握できる。

投稿: a | 2007年3月20日 (火) 14時13分

a様

コメントありがとうございます。

小林よしのりさんの著作は、読んでいますよ。

ただ、日本が、単独で、事実検証を行っても、小林よしのりさんが、アカデミズムの手法で、行ってるとは、管理人には、おもいませんし、つまり、ソースの取捨選択、主観性の強い認識・解釈が行われている可能性が多いのです。

コメントを頂いて恐縮なのですが、その手の本なら、韓国・中国はじめ、世界中にたくさんあるでしょう。

それに、この問題、すでに、国内問題を超えて、国際的な問題になっています。日本単独での、事実検証が透明性かつ客観性を持っても、もう、そのレベルの話ではないんですね。

ですので、事実検証に当たるにしても、国際的に欧米・アジアの研究者に参加してもらったほうが、より、客観性を持ちます。又、3のレベルにおいても、なんらかの決着に繋がる可能性は高いのではないでしょうか。

投稿: forrestal | 2007年3月21日 (水) 05時05分

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