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2007年2月19日 (月)

コミュニケーション

■コミュニケーションが大切である、不足しているとは、よく言われることだが、コミュニケーションとは、なんだろうか。

社会学者N.ルーマンは、自らの社会システム論の構成単位をコミュニケーションであると言った。

管理人も、UPDATEな研究まで、フォローしていないので、ルーマンのコミュニケーション論から、いろいろ思うことを述べようと思う。

(管理人は、ルーマンが好きである。ちなみに、ルーマンと論争したハーバーマスには、君のドイツ語は、英語に聞こえると言われました・・・涙)

■かつて、マクルーハンは、「メディアは、メッセージである」という情報の物質性に着目し、それによって、受け手の思考、知覚を規定するパターンであると。また、広辞苑で、コミュニケーションをひいても、以下の意味がでてくる。

「社会生活を営む人間の間に行われる知覚、感情、思考の伝達」

ここから読みとれるのは、情報発信者(送り手)→情報受容者(受け手)である。

■では、ルーマンの場合はどうであろか。

ルーマンのコミュニケーションは、①ある情報の選択/②その情報の伝達のあり方の選択/③受け手による、①②の差異の観察=理解の選択 という3つの密接不可分な選択の統合体である。

これでは、あまりよくわからないので、具体例を提示する。

例えば、政治学を専攻する大学院生A君が、海外留学のために指導教官に推薦書を書いてもらう。指導教官は、〈A君は、成績優秀で、性格もよく、授業にも休まず出席します。〉と書き、「直接ではなく、人づて・間接的にその内容をA君に知らせ」、A君は、『内容をどうして、直接、知らせてくれなかったのと思う』

はじめの〈〉は、情報の選択であり、次の「」は、伝達のあり方の選択であり、最後の〈〉が、その差異の観察・理解に該当する。

先にも述べたが、この3つは、密接不可分であり、受け手による理解があって、はじめてコミュニケーションは、成立する。(つまり先行する意味内容が獲得されるのである)。

重要なことは、①②それ自体は、伝達の選択の提示に過ぎず、それに対するレスポンス③があって、はじめて、そのコミュニケーションが、いかなる形で、完結しているか、読み取ることができる。

コミュニケーションとは、受け手の理解によってなされる、①②の情報・伝達提示などは、付随的なもに過ぎない。

■マクルーハンや広辞苑のような、「送り手→受け手」といった図式とは、正反対に「受け手→送り手」となるのである。コミュニケーションでは、常に受け手が主体なのである。

国際政治に応用すれば(国際政治に限定されないが)、外交交渉などにおいて、常に、認知・認識の違いを想定しなければいけない。そして、それが又、交渉上の駆け引きでもある。

送り手である(管理人)から受け手である(拝読者)の皆様をより大事にしたい。

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