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2006年12月23日 (土)

国連の戦略的利用

国連と日本、特に、国連について、管理人の見解を少し述べておきたい。

【ニューヨーク=白川義和】国連総会第5委員会(行政・予算)は21日、2007~09年の国連通常予算分担金比率について、現行の算定方式を維持することで合意した。

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 日本は経済の伸び悩みにより、2004~06年の分担率19・5%から約3ポイント低下する。

 同委員会で続いていた算定方式の改定協議では、日米が、経済成長を続ける中国の負担増を求める改定案を提示。一方、途上国グループと中国は米国の負担増を求めて対立し、結局、現状維持で決着した。

 分担率は世界全体での国民総生産(GNP)総計に各国のGNPが占める割合を基に計算する。日本は中国(現行2・1%)、ロシア(同1・1%)の負担増を念頭に、常任理事国に3%または5%の下限を設ける案や、国民所得が低い国に適用されている割引率を削減する案を出したが、合意を得られなかった。

(2006年12月22日12時59分  読売新聞)

■今回は、国連の設立史などではなく、国連というもがどういうものか、少し管理人見解について、述べておきたい。又、国連と日本に少し焦点を当ててみる。

国際連合は、国際連盟の失敗から、WWⅡ以後設立された、国際機構である。

しかしながら、その崇高な理念は、早くも朝鮮戦争で、打ち砕かれる。国連の集団安全保障体制は、その後の冷戦期も、現在も機能麻痺のままである。

特に昨今では、イラク戦争に至る経緯で、国連が役に立たなかったという、国連幻想論や、国連無能論まで、出てくる始末である。(皮肉なことに、国連が逆に注目を集めたが)

管理人は、あのアメリカを3ヶ月も拘束することができただけ、その存在価値を評価している。

そもそも国連というのは、超国家的存在ではあるが、主権国家を超えるものではない。

つまり、主権国家の連合体なのである。(加盟国から構成されるの意味)

それゆえ、各国の思惑、国益が衝突するアリーナである。

安保理改革や、国連改革がなかなか進まないのも、そのためである。

国連には、出来ることと、出来ないこと(非常に難しいこと)が始めから存在する。

その乖離を避けるべく、もちろん、努力はしているが。。。

しかしながら、はじめから、難しいことを期待されて、要望されて、出来なかったからといっって、批判、非難されても、国連からすれば、迷惑な話である。

現状、国連が国際政治で、何がどこまで出来るのか、見極めることは、極めて重要である。

ここまでの国連は、主に安保理、総会を指してきた。そして少なからず悲観的な見解を述べてきた。

しかしながら、国連は、世界200カ国近くある国家の殆どが加盟する世界最大の機構である。

かつて、クラシカルなリアリスト、ハンス・モーゲンソーは、『国連不在論』を唱えているが、国連は、国際政治の規範(法的レジームやソフト・ロー)や、秩序維持に貢献している側面もある。つまり、グローバル・イシューや、様々な摩擦や軋轢の調整を行えるフォーラムである。(コンストラクティビスト、マーサ・フィネモアなどは、むしろ、国連限界説が、逆説的に国連が規範や秩序維持に貢献していることを示唆するものであると指摘している)

又、特に注目しなければいないのは、国連のサブシステムである。つまり専門諸機関の活動である。あまり目立ちはしないが、UNDPやWFOやWHOなど、又、PKOやPKFなど、決して大きな動きではないが、着実に国際平和に貢献している。

国連といえば、安保理、総会だけに目が行き勝ちだが、こうした専門諸機関の活動にこそ、むしろ、その存在価値がある。そして、国連は、アリーナ的側面と、フォーラム的側面を備えている。そして、正統性を付与できる唯一の国際機関である。

■以上、国連成立史と国連史を省いて、国連というものの特徴を簡潔にみたが、日本は、どのように、関わればいいのだろうか。

日本の国連への正式加盟は、1956年である。その後、日本外交の原則として、国連中心主義がスローガンとして掲げられるが、それ自体、意味内容に乏しいものであっただろう。つまり、具体的な戦略・政策が形成されてこなかったのである。

それには、仕方のない側面もある。経済復興を優先し、自由主義陣営にいながら、最初にも書いた通り、集団安全保障が機能しない国連に関与・期待できない当時の国際・国内環境があった。

しかしながら、冷戦終結後、90年代、日本は、ODA供与国、第1位を占め、1992年には、国連のカンボジアPKO活動に自衛隊と文民警察官を派遣している。

残念なことに、このことは、あまり国内的・国際的な注目を集めないが・・・。つまり、戦略としてのソフトパワー(魅力的に相手を惹きつける)外交としては、現状、成功しているとは思えない。(つまり、それがどのように、日本の国益に繋がるのかが見えない)

日本の国益と国際社会の共通益が一致する場合は、よりコミットして、プレゼンスを高めるべきである。

日本の国益と国際社会の共通益に乖離がある場合、よりコミットして、国益減少を最小限に留めるよう働きかけるべきである。

つまり、いずれにしても、国連を戦略的に利用しなければいけない。そのためには、国連へコミット(もちろん、アプローチの方法はいろいろとあるだろうが)し、対外的にも、対内的にも、より注目を集める広報戦略が必要である。

ヨーロッパ諸国などは、自国の国益追及を国際大義に摩り替えるだけの外交上の上手さがある。

現状、日本は、安保理常任理事国入りでもそうだが、具体的なグランド・デザイン、果たすべき役割、それがどのように国益に繋がるのか、見えてこない。

とても、国連の戦略的利用というレベルではない。

最後に、国連に何が出来て、何が出来ないのか、そして、それが、どこまで出来るのかを見極め、日本は、国連加盟50周年の今年に、日本のグランド・ストレテジーに、一致する部分では多いに活用し、一致しない部分は、どこまでの妥協をするのか、させるのか、そのような具体的な戦略・政策形成を再考すべきである。

安保理常任理事国入りは、時期尚早である。

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